「ココロと意識」は、自分の人生を生きる上で重要な司令部。
人はみなそれぞれ生まれ持った資質というものがあり、それを『個性』とも言うけれど、その個性を活かしたり備わっている能力を発揮するには、『ココロと意識の”成熟度”』がものをいう。
そしてその熟成を手助けする気づきや学びは常にそこらへんに転がっている。だけど、それが見えるそのときは、人それぞれのタイミング。
そんな石ころのようにころころ転がる小話が、ココロを熟成させる酵母菌にでもなったらいいな、と散りばめていくシリーズです。
まずは基本中の基本、これなくして始まらない「ありがとう」を味方につけるというお話から始めましょう。
「ありがとう」という言葉を一日に何回言ってますか?一回もない日がある?
それはもったいない!
「ありがとう」という言葉は最強ワード。一日何度も口にすると、どんどんいいことが起こるらしい。
それはなぜかと言えば、私たちが口にする「ありがとう」の数を、どうやら神様がカウントしていて、そしてその「ありがとう」の数だけ、私たちに喜びをもたらしてくれるというのです。
今はお空の上から見守ってくれている小林正観さんは、とにかく「ありがとう」と言うことを勧めている方でした。
多くの著書の中で幸せに生きるヒントをたくさん伝えてくれていますが、その中で「”ありがとう”をたくさん言いましょう。」ということを繰り返し述べています。
その理屈として、脳というのは「先に口にした言葉に対して、不条理・不合理を認めず、合理的な事実にあてはめて解釈しようとする働きがある」らしく、つまり、まだ何も起こっていない条件下で先に「ありがとう」と口にしてしまうと、その瞬間から脳は”ありがとう”を探し始めるようにできている、というのです。
ということで、朝起きて「ありがとう」を100回言うと、脳が”「ありがとう」の現象を100個探そうと働きだす、という面白い話。
私たちの周りには、”あたりまえではない、有り難いこと”が常にある。それに気づくだけでもたくさんの幸せに満ちているこの世界。
でもこの正観さんの言わんとすることは、それだけに留まらず、「ありがとう」という言葉を口にすればするほど、ミラクルな出来事が次から次へと起こってくる、というなんともワクワクするお話です。
騙されたと思って素直に実践してみると、なにかいいこと、あるかもしれませんよ♪
ちなみに「ありがとう」という言葉。仏教から由来しているということ、知ってますか?
私たちがこの地球という惑星に人間として生まれたことが、信じられないくらいの奇跡的な出来事である、と説いたお釈迦様のお話です。
『ある時、お釈迦様が阿難尊者に「人間として命を授かった事をどのように思っているのか」と尋ねられました。
すると阿難尊者は「大いなる喜びを感じています」とお答えになります。お釈迦様は「盲亀浮木」の喩えをお話になります。
「例えば大海の底に一匹の目の不自由な亀がいて、その亀が百年に一度、息を吸いに波の上に浮かび上がってくるのだそうだ。ところがその大海に一本の浮木が流れていて、その木の真ん中に穴が一つ空いている。 百年に一度浮かびあがってくるこの亀が、ちょうどこの浮木の穴から頭を出すことがあるだろうか」と尋ねられました。
阿難尊者は「そんなことは、ほとんど不可能で考えられません」と答えると、お釈迦様は「誰もが、あり得ないと思うだろう。しかし、全くないとは言い切れない。人間に生まれるということは、この例えよりも更にあり得ない。とても有難いことなのだ」 と仰っておられます。』(薬師寺HPより拝借)
あり得ないくらいに奇跡的。
そんなミラクルないのちを与えてもらったラッキーな私たちは、この”あたりまえ”と思って「生きている」こと自体が、実は”あたりまえ”ではなく”有り難い”ことであると、まずは自覚するところから始まるのかもしれませんね。